こんにちは、Yuriです!
以前、乳幼児の人格形成に幼少期に影響大!?幼稚園・子ども園の選び方という記事を紹介しました。
幼少期の経験は人格形成に影響するか?と聞かれたら、皆さんはどう思われますか?
私は、幼少期の過ごし方が価値観の形成にかなり影響があると思います!
この記事では、幼少期の経験が価値観や人格形成に影響するか、私の経験と価値観から、考察してみたいと思います。
そして、いじめを受けたことがある私が、いじめをなくすには幼少期からの価値観の形成が重要だと思う理由を解説します。
個人の体験談で、その他大勢の方に当てはまるわけではない、ということをご了承の上、お読みください。
幼少期の経験が、その後の人格形成に大きな影響があるとしたら…
わが子への関り方や、声かけを見直すきっかけになるかもしれませんね!
学校に入り、集団生活が始まると、他の子と比較してわが子をみてしまうママさんが多いと思います。
学校は、同級生と比較して、どれだけできるか、を成績として評価するシステムだからです。
するとママも、子どもに対して要求が植えたり、周りに合わせるように求めたりしてしまうかもしれません。
子どもから、「みんながやってるから~」とお願いされるようになるかもしれません。
いじめる側、いじめられる側になってしまうかもしれません。
学校では人数やシステム上難しいので、ママが、子ども一人ひとりの個性を大切にして、多様性を育ててほしいと願っています!
いじめが理解できない私の価値観
私は中学~大学まで、よく「天然だよね」とか、「Yuri特別はだから」とか、「変わってる」と言われていました。
何が天然なのか、自分では分からないのですが…
確かにみんなでワイワイするのは苦手でしたし、周りに気を遣って無理に合わせることもしていなかったかも、と振り返って思います。
現在も、以下のような考えの持ち主です。
結果、争わず、うらやましがらず、人間関係はとても平和だと思います。
自分は自分、人はそれぞれよいところがある
私はあまり人の意見に左右されずに、自分がよいと思ったことをする、という性格です。
もちろん、気を遣うことはありますが、気を遣いすぎて自分を押さえつけるということは少ないです。
そのため、友達の数も多くはありませんが、それでもよいと思っています。
女性特有のグループとか、噂話とかが苦手です。
年上だから偉いとか、年下の子の世話をするとか、自分のほうが上だという感覚がなく、年下からも教わりたいと思います。
人と違うのは当たり前ですよね!
皆の個性を心から尊敬していて、比較して考えたことがないので、天然とか変わってるというのはよく理解できませんでした。
人のことを「いいなぁーすごいなぁー」と思うことはあっても、「羨ましい」とはちょっと違います。
ねたみやひがみなど、そういう負の感情も、持ったことがありません。
気の合わない人だって、自分にない良いところがあるので、嫌いとか、いじめるという心理は全く分かりません。
自分には合わないとか苦手と感じることはあっても、人を嫌いになったことがないので、よく騙されやすそうと言われます。
実際、大学のアルバイトをした時に、だまされたことがあるので、気をつけます!
悩むことといえば、もっぱら自分の理想に近づけない自分のことです。
人と比べることはありますが、あまり気にしません。
自分は自分、人は人、みんな違うのが当たり前だし、その方が面白いというスタンスだからだと思います。
こんな価値観だと、人に左右されることなく、自分の目標に進めるので、とても平和だと思います!
平和すぎるのほほんとした考え、なんとなくムカつきますか?
そんな考えは競争社会や空気を読む人間関係では通用しないと思いますか?
私は周りの人がみんなそういう考えだったら素敵だなと思っています。
【具体例】ファッションだって、自己表現
例えば、分かりやすく見た目で考えて見ます。
友達同士での双子コーデとか、親子でお揃いコーデとか、どう思われますか?
私は違和感があります。
確かに、おそろいで歩いているとかわいいんですけどね!
私自身は双子なので、私は親から常に同じ服着せられていたので、同じ服を着ることに抵抗があるわけではありません。
しかし友達との双子コーデは、かわいいからといってノリノリで「やりたーい」って思えません。
おそろいの小物を買うくらいならよいのですが、ファッションを合わせるのはなぜか「変なの」と感じます。
ファッションも自己表現の一部だからでしょうか?
人が似合うものでも自分には似合わないと思うからでしょうか?
もし、友達に双子コーデやろーって言われたら、断ってしまうタイプです。
それで友達じゃなくなったら悲しいですが、それは価値観の違いで仕方ないと思います。
手持ちの服で、色を合わせるだけとか、テイストをあわせるくらいならOKかな、と思います。
のりが悪い人は嫌ですか?
もちろん、時と場に合わせて、ノリノリでその場の勢いで考えずに行動することもありますよ!
私は決して一匹狼が好きなのでなく、寂しがり屋だし、友達と交流するのは好きですが、無理に合わせるのはやだなーと思っています。
自分が辛い思いをしたり、我慢してまで、人に合わせる必要はない、と思っています。
こんな考え方では、人から嫌われてしまうと心配ですか?
自己中心的で嫌なやつと感じますか?
私はそれぞれの価値観で個性を発揮して生きることが幸せにつながると思っています。
日本人らしさは生きづらさ
他を思いやる、空気を読むのは、日本人の良さでもあり、生きづらさでもあるのかなと思います。
和を大切にすることや空気を読むのは素敵なことですが、時には自分を出せなくて苦しくなることもありますよね。
言わなくても分かるだろう、という思い込みは、トラブルの元になることもあります。
学校では、みんなとちょっと違うから仲間はずれにする、無視してみるなどが簡単に起こってしまいます。
陰湿ないじめは、日本人に刷り込まれた価値観が変わらなければ、どんな対策をしてもなくならないと考えています。
大人でも、気を遣って合わせているけれど、陰では悪口をいう人いますよね。
私は、悪口を言いたいなら、本人に直接言えばいいのにと思ってしまいます。
言われたほうは、どうしていいかわかりませんよね。
みなさんも、周りに合わせたり、気を遣うことがストレスになった経験はありませんか?
私の価値観を作った幼少期の経験
上記のような価値観は、ちょっと変わっていますか?
私は、とても平和でいじめや悪口とは無縁の価値観だと思っています。
この価値観が身についたのは、幼少期の経験(幼稚園)にカギがあると考えます。
こちらの記事で簡単な自己紹介をしていますので、気になる方はどうぞ。
双子で、オランダのモンテッソーリ系幼稚園卒、元高校教師、1歳3歳の育児に奮闘中の30代主婦です。
生まれてから現在まで、日々成長しているので、自己を形成しているものが生まれ持った資質からくるのか、育った環境からくるのか、教育からくるのか、いつ頃身についたのかは分かりませんが、今回は学校生活に注目して考察してみます。
幼少期、オランダのモンテッソーリ幼稚園に通う
東京生まれで、4歳でオランダへ。
アムステルダムのモンテッソーリ系の幼稚園に通いました。
モンテッソーリ園には、同じく日本人の子もいましたが、オランダ人やドイツ人など、様々な国の子どもが集まっていました。
モンテッソーリ園は、自由遊びが出来るように、おもちゃがブースで仕切られていて、好きなときに好きな遊びができるような環境になっています。
トイレも全員で行くのではなく、好きな時に壁にかけてある木のネックレスをかけてトイレに行きます。
先生やお友達は、ネックレスがない時は、トイレに人がいるということが分かります。
お誕生日会などのイベントや、朝、帰りの集まりはありますが、みんなでいっせいにお遊戯をしたり、いっせいに同じ遊びをすることはあまりありませんでした。
お誕生日の時は、先生が好きな色画用紙や好きな動物、好きなリボンを選ばせてくれて、自分好みのオリジナルなメダルを作ってプレゼントしてくれます。
そのため、誕生日は月ごとでなく、一人ひとり行われます。
誕生日の日は、保護者が幼稚園に来て、お友達全員に、手作りのお菓子をふるまいます。
誕生日の子、1人だけが特別になる日です。
日本は月ごとで一斉に誕生日会が行われることが多いですよね。
幼い頃の記憶なので、忘れてしまったのかもしれませんが、日本の幼稚園のように、集団行動をした覚えは全くありません。
オランダの幼稚園では、一人ひとりの意見がとても大切にされていました。
日本人小学校へ入学
アムステルダムの日本人学校へ入学し、小学校2年生まで過ごしました。
もちろん、日本式の教育に沿って行われますが、少人数なので、丁寧な教育できます。
全学年で行う行事も多くあり、自然と上の子の姿に憧れを抱いて勉強に熱が入りました。
学習発表会は、ディベートなどが低学年から行われていて、自分の意見を言うことが重視されていました。
中学まで一環なので、中学生の姿も間近で見ることができ、異年齢の交流も自然になっていました。
同じ年齢の子ばかりとしか交流がないと、どうしても視野が狭くなりますが、このように、様々な年齢の子の姿を見ることで、視野が広がったと思います。
印象的だったのは、上の学年の子がとても文字が綺麗で、文章も上手だったことです。
小学校1年生のときから、上級生の作文を読んで、憧れていました。
同じ学年の子と自分の文字を比較するのではなく、上級生をお手本にするので、競争心は生まれませでした。
いじめを経験した小・中学校生活
日本の小学校へ転校
小2の途中から、日本の学校に転校しました。
大人数を、力や、声の大きさで押さえつける先生もいました。
ひどい言葉を書いたノートの所有者を捜すために、休み時間も勝手に行動することを許されず常に整列して移動するという地獄の日々を過ごしたことがあります。
まるで、自由がない刑務所のようだと思いました。
そんな集団生活で、私も周りに合わせたり、目立たないように授業で意見を言わなかったりしていました。
小学校6年生の時、3人グループで仲良しだった子の1人から無視され、グループから外される経験をしました。
なぜ、いじめが起きたか分かりませんが、きっかけがわからず無視をされることがとても悲しかったです。
原因も分からず、そのまま卒業しましたが、話し合うこともなく、突然仲間はずれされることに、恐怖を感じました。
なぜ、仲間はずれや無視が起こるのか、それが当時の私には分かりませんでした。
ちなみに、もう1人の子は、無視していた子にあわせていただけで、卒業後、連絡をとって大学、社会人になってからも再会しています。
過去のいじめの話題はしないので、結局原因はわかりませんが、当時はリーダー格の子に合わせて、グループで遊んでいなかったということです。
自分は仲良くしたいのに、リーダーに合わせて無視しないといけない環境だったということですよね。
いじめないといじめられるとか、そういう気持ちもあったのでしょうか。
自分の意見がいけない、周りに合わせるという空気では、いじめはなくせませんよね。
中学から天然といわれはじめる
中学から、天然と言われるようになり、ちょっと嫌でしたが、悪気なく言っているようだったし、天然の意味もよくわからなかったので、気にしなくなりました。
いじられキャラという感じでしょうか。
(中学は成績オール5だったので、バカという意味ではないと思います)
中学3年生では、部活の友人から突然無視される経験をしました。
理由が分からなかったので悩みましたが、他に良い友達がいたの助けられました。
いじめの原因はちょっとしたきっかけで起こるので、何が原因かは分かりません。
人と違う、ちょっとむかつくなど、きっかけは些細なことなのではないでしょうか。
私はおとなしいタイプだったし、目立つのが苦手だったので、いじめやすかったのかなと思います。
日本の女子のいじめは影でこそこそやるので、怖いですよね。
人と違うといじめられやすい日本の学校
振り返ると、小学校でも中学校でも、仲の良かった友達から突然無視や仲間はずれをされています。
その当時は悲しかったし、辛かったですが、他によい友達がいたので、救われていました。
当時の私は、ただわけが分からず寂しいという気持ちでしたが、いじめた人をこらしめたいとか、うらんでいるという気持ちはありませんでした。
小・中学生はまだ未熟なので、いじめがありますよね。
何かがきっかけで、意図せず、知らぬ間に嫌われてしまうことがあると思います。
直接けんかをして解決すればまだいいですが、ちょっと面白そうとか、自分が強くなった気分になりたいとかいう軽い気持ちでいじめがはじまることがあるかもしれません。
自分の意見をいってもいい、人はそれぞれ違う、違って当然という価値観が育っていればいじめは減ると思っています。
私だったら、嫌なことがあったら、直接言うか、その人とは距離を置くようにするだけです。
まとめ
幼少期の経験がその後の価値観に影響する
私は、小・中学生の頃、人と違ってもいい、とか無理にあわせなくてもいい、と明確に考えていたわけではなく、
自然体で過ごしていましたが、自然と人と違うことをしていたのでしょう。
自分の思うように発言し、行動していたので、
きっと、知らぬ間に天然といわれる発言や行動をとっていたのだと思います。
面白い、天然、特別、といわれる本人は、その原因がよく分かりません。
このような価値観は、
きっとオランダで過ごした幼少期の影響を大きく受けていると思います。
自分の意見を大切にする、人の意見や考えも大切にする、人の良いところに憧れるという平和な価値観。
日本の学校で過ごしても、大きく影響されることなく、自然と身についていました。
もしかしたら、もって生まれた性格もあるでしょう。
しかし、私自身の経験を振り返ってみると、幼少期の過ごし方が影響している可能性は大いにありますよね!
幼少期にいじめが生まれない価値観を育てる
皆さんは、幼少期に刷り込まれた価値観はありますか?
日本人の価値観も時代とともに変化していますが、色濃く残っている家庭もあれば、現代にあった価値観の家庭もあると思います。
私の周りのママ友と話していると、まだまだ比較したり、みんなに合わせたりする日本の価値観が根強いと感じます。
みんなと一緒がいいことでしょうか?
先生が大勢の生徒を教えるのには、みんな一緒だとやりやすいです。
集団生活をしていく上で、みんな一緒だとトラブルも起きにくいし、管理しやすいです。
しかし、社会で通用する力は何か、と考えた時、みんなと同じことをしていても、通用しませんよね。
多様な考えがあるから発展していくので、みなと一緒ではだめなのです。
お互いの考えを尊重できる子、自分と人を比べない子なら、いじめをすることはないのではないでしょうか。
小学校からの学校システムに入る前の幼少期に、子どもの意見をしっかり聞き、友達の良いところや違いをみつけていくことは、ママが子どもにできる方法の一つかなと考えます。
この記事では、私の経験から、幼少期の経験が人格や価値観の形成に影響するかを考察しながら、いじめについて私の考えを書いてみました。
平和な価値観の子が増えれば、いじめは減らせると思います。
将来いじめで心が折れてしまったり、不登校になってしまうことがあっても、ママが幼少期から人と比較せずに個性を認めてあげていれば、きっと大丈夫だと私は思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。